だいあろぐ
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1998/08/16 (Sun) [長年日記]
§1 永久(とわ)の別れ
書こうかどうか、ずいぶん悩みました。更新が遅れたのはそのせいです。
いろいろ考えたけれど、ボクは彼の友達として彼との想い出を忘れたくなかった。だから、ここに記しておくことにしました。ボクの気持ちを精一杯込めて、今日の日記を親愛なる友・永井一真に捧げます。
ボクが永井と初めて出会ったのは、今から 8 年前。高専の入学式当日だった。入学式を終えて、教室に戻ってからとか、それくらいだと思う。担任から級長を紹介された。そして彼はボクらの級長として、高専生活の最初の年を過ごすことになった。
当初の印象は「まじめそう」とボクの目には映っていたと思う。なんでそう感じたのかは、今となっては記憶の底なのだが。たぶん、級長として紹介されていなければ、話かける取っ掛かりを探すのは難しかったろう。ともあれ、新入生の行事は数多くあり、必然的に会議の機会も増えるわけで。いつのまにか話をするようになっていた。
何度目かの席替えで、永井と席が隣同士(前後か左右)になった。席が近くなると、話をする機会は増えるもので、休憩中、授業中を問わず、話をするようになった。当時の共通の話題の一つに「不思議の海のナディア」というアニメがあった。ボクらがまだ中学生の頃に放映されていたものだ。録画して保存してたとか、サントラはいいとか、映画になったとか、そんな他愛もない内容だった。 CD を貸したりもしたっけ。
ボクらが「同じクラスの人」から「友達」に変わったのは、この頃だった。
勉強もできて、スポーツもできる(バトミントン部に在籍してたっけ)。背は高いし、ルックスもいい。妬まれちゃっても仕方ないんじゃないかな、って感じの奴だった。ていうか、中学時代のボクなら妬んでたかもしれない。あの頃のボクはイヤな奴の固まりみたいなもので、コンプレックスを抱いて生きてたから。……そんなことはどうでもいいね。そのヤな性格も、高専入学を期に変えようって努力したのは事実だし。
その「なんでもできる」ように(ボクには)見えた永井にも苦手なものがあった。
木更津高専には、2 年生になると遠泳教室という夏の恒例行事がやってくる。しっかり体育の単位として組み込まれ、逃げることが難しいイベントだ。遠泳教室までの夏の体育の時間は、その練習のためにあるといっても過言ではない。
どこの中学・高校でも、クラスに泳げない人は何人かいただろう。ウチのクラスにも当然ながら数人いた。その一人に永井がいたんだ。とはいえ、彼を含めみんな努力家で、一生懸命泳げるようになろうと練習していた。いやでもイベントはやってくるのだから、と。その努力が実って、無事遠泳教室を終えることができた。
ボクは、いつの間にか自分が築いていたココロの壁が崩れていくのを感じていた。苦手なものを努力で克服しようとする。そんなあたりまえの姿に感動したのだ。「俺は何を勝手に想像して、相手の姿をはっきり見ないんだよ」本気でそう思い、コンプレックスを抱くのをやめた。はっきりそう思い始めたのが、高専 2 年の夏。
クラスに、ライダーが増産されたのもこの頃だった。16 歳になれば、自動二輪の免許が取れる。そして、高専ではバイク通学が認められている。となれば、そこから導き出される答えは明快で。「バリバリ伝説」(しげの秀一)もはやったよなあ。本気でバイクに憧れたっけ。
この時期に、ボクは永井との距離を感じた。それまで「アニメ」という共通の話題を持っていたけれど、彼はバイクに乗り始め、話題も、付き合う仲間もそちらに移っていった。ボクは相変わらず、アニメやゲームが好きだった。友達付き合いの中で、たわいもない話をすることってかなり重要なことだと思う。その「たわいもない」話も共通の話題があればこそで。あまり引き出しを持っていなかったボクは、いつのまにか(勝手に)距離を置くようになった。
両親の説得に失敗して、二輪免許を取ることもかなわず、がむしゃらに部活とバイトに明け暮れた。学業をほったらかしにして。その結果は惨々たるものだったのは言うまでもない。
ボクはよくノートを借りる側の学生だった。「類は友を呼ぶ」というが、あいにくボクの周りの友達はデキた奴が多かった。おかげでボクは散々周囲に迷惑をかけ散らしながらも、かろうじて進級していくことができた。単位が足りなくて本気でヤバかったときも、友人たちが(ボクの代わりに)走り回ってくれた。後でその話を聞いたとき、ボクは泣かずにはいられなかった。良い友達に恵まれると人生が変わる。ボクはそう思う。
で、ノートの話だけど、本当によく借りて回った。自分でもノートは写していたのだけど、気がつくと授業が終わってたり、ミミズがノートの上を走りまわってたり。ボクの手元にあるのは、ちょっと役に立つとはいいがたいノートばかりだったから。
永井にもよくノートを借りた。彼のノートはきれいにまとめられていて、見やすかった。字も読みやすかったし。分からないところはさりげなく聞いたりして。本当に助かったんだ。
いつも聞いてばかりだと思われそうだが、こんなエピソードもある。
4 年生。ボクと永井でたまたま同じ選択教科を取っていた。確か応用数学 IV だったかなあ。この科目に関しては、なぜかボクは得意だった。難しいと思わなかったのね。そして彼は苦手だった。練習問題が解けなかったんだよな、確か。そんなわけで、テスト前に我が家で特訓することになったのだ。
先生の説明が(彼にとって)わかりにくかっただけだと思うんだ。ボクがいくつか例題を解いて、その過程を説明して。あとはヤマをいくつかかけて。さすがは永井、結局は高得点をマークしてたように記憶してる。
永井を家まで送り届けて帰宅して、母の第一声。「永井くんってアンタの友達には見えないね」 曰く、ボクと付き合いがあるようには見えないほど「いいコ」に感じたそうだ。……ってそれが自分の息子に対して言う台詞か? まあいいけど。母に言わせりゃ「アンタの高専時代の友達って感じいいコが多いよねえ」だそうで。前述の「類は友を呼ぶ」って言い方をすれば、ボクもいいコなんでしょうか? そんなことはないか。
そうそう、そういえばこの日は送る途中にジョイフル本田によって、バッテリーを交換するのを手伝ってもらったんだっけ。前日に学校でライトを点けっぱなしにしてバッテリーを切らしてしまったのだ。「もっといいクルマ買ったら」とかそんな話もした。ボクがクルマに乗るようになってから、またそんな話題が帰ってきたんだよね。
クルマといえば、ボクも一緒になって狂ったモノがある。 F1 だ。流行らせた張本人は、永井とゴンちゃんの二人だ。間違いない。あの頃は月曜日がつらかったなあ。眠くて。誰が優勝するかーとかすごく盛り上がってたなあ。しばらくして二輪に移ったりしちゃったんだけどね。今でも F1 ちゃんと追っかけてるけど。
4 年の時は、見学旅行で九州に行った。熊本、宮崎、福岡、長崎。このときは覚えてるネタがないなあ。ということは、たぶん別のグループにいたんだろう。毎晩のように呑んでたことくらいは覚えてるんだけど。見学旅行はクラスで一丸となって遊んだ、っていうイメージが強かった。
5 年になって、進学・就職の時期がきて。永井は「ホンダに行けたら就職、ダメなら進学」と言ってたっけ。当時のホンダは、F1 から撤退した頃で、業績も芳しくなく、とにかく締めに入ってた時期で、高専卒の就職は厳しい状況だった。結局、彼は九州工業大学に推薦で内定した。ボクはことごとく試験に失敗し、かろうじて就職先を見つけた。
卒業旅行ってのが企画された。さりげなく口にしたことが、あれよあれよと大きなイベントになって。幹事が決まって。京都に 2 泊 3 日。本格的な旅行。そこでもボクはその事実に気づいてなかった。
卒業式の日。ボクが残留決定したことを、みんな驚いていた。そりゃそうだろ。ボクだって驚いてたんだから。……当初は。それでも二次会の幹事はやらないわけにはいかない。そりゃ、はじけたさ。みんなもうベロベロに酔っ払っちゃって。家に帰るのも大変そう。何人かを家まで送り届けた。最後に永井を送ることになってたんで、彼とは一緒にあちこち回った。その間に、5 年間のこといろいろ話したんだ……。
翌年、ボクの卒業する年。忘年会という名のクラス会がが開かれた。九州に行っているはずの永井がそこにはいた。聞けば体調を崩して後期を休学したとか。一人暮らしは大変だろうけど、身体に気をつけて、無理をしないで、とだけ言った。あとは近況報告とかたわいもない話ばかり。一年経ってもみんな変わらないよねーなんて感想もらしてたっけ。
今度こそ無事社会人になり、そのうちメールアドレスをもらった。昔の仲間とぽつぽつやりとりするようになった。はじめは一人一人にメール出したり、Cc: で出してたりしたんだけど、まあうざいよね。だからメーリングリスト作ったんだ。したら、永井からメールが来たんだ。「なんでオレを呼んでくれないんだ!」
呼ばなかったんじゃなくて、知らなかったんだってば。って弁解から、ボクらの交友は再び再開した。その密度はたぶん、今までで一番濃かったと思う。メールって文字だけで、相手の顔が見えないから、ちょっとした言い回しの失敗でトラブルになる。それで仲たがいして出ていったメンバーもいる。それで傷ついたメンバーもいる。ケンカしたり、フォローしたり。多いときは一日で数通飛び交った。少ないときは一ヶ月くらいなかったけど。
永井が無事初志貫徹して本田技研工業(株)に内定が決まった。内定式で関東に出てきたときに、ML の仲間で内定祝いを催した。むろん、その裏には、ML のトラブルで参っている永井を慰めてしまおうという下心もあったんだけど。「呑み会やるから絶対来いよ」って電話までして。そんときもいろいろ愚痴っていた。「楽しいときもあればつらいときもあるさ。オレは友達だよ。困ったらいつでも電話しろよ」確かそんな風に言って励ました。
結構忙しいなか人が集まって、楽しい呑み会になった。トラブルの件も、納得はしなかったけれど、吹っ切れた。そんな感触を受けたから、それでよしってことにした。あっちでできた彼女の話とか聞き出したら、カウンターでのろけられちゃって、そりゃ悔しい思いもしたのも、この時だったか。
気がつけば春。
学生をやってる友人よりも、会社員をやっている友人の方が増えた。永井も例に漏れず、無事入社式を済ませて、研修期間に入るよ、って電話が来た。ボクの携帯に電話することなんてぜんぜんなかったから、やっぱり嬉しかった。メールだけよりは電話の方が声も聞こえるしさ。
それで久しぶりに会ったのがこのあいだ。クルマのことで相談があるよって電話口で話したら飛んできてくれた。久しぶりに会った永井はますますカッコ良さに磨きがかかってたんだよね。流行のグラサンして、愛車の CIVIC VTi を転がしてきた。サスとタイヤとマフラーに手を加えてたなあ。それを嬉しそうに語るんだ。むう。欲しくなるじゃないか。
道すがら、自然と彼女の話になり(またか)聞いたわけだ。「あ? あの時のコとは別れたんだ。今はこのコ」って携帯のプリクラ見せてくれた。「今度ちゃんとした写真見せるからさ」なんて。「研究所に配属になったら茂木だぜー」って嬉しそうに語ってた。ちょっとまじめな話もした。キミに友達がいないなんて、そんなことないから。ボクは本気でそう思ったし、そう言った。
クルマを決めてからは真っ先に電話した。薦めてくれてありがとうって。「今度一緒に走りに行こうね」 そりゃもちろんだよ。研修期間が終わるのが 7 月末だって話だったから、その前に呑み会やろうよ、ってことになった。名目はなんでもいいんだけど、まあ「永井くん研究所配属おめでとう記念」かな。そんな話をして電話を切った。
呑み会は 7 月最後の金曜日に。楽しい呑み会だったのさ。呑んで、カラオケ行って。そういや、永井とカラオケ行くといつも、彼が外で電話している姿を思い浮かべる。そういう印象が強いのかも。カラオケの最中にボクのところにかかってくる電話は、仕事の電話くらいだもんな。
「クルマはいつ頃届くって?」「初旬って言ってたけど……お盆前に届くと良いなあ」「そうだね」そんなやりとりがあったのを覚えてる。
8 月に入って、永井は研究所に行った。ボクもクルマが届いて、毎日が楽しくなった頃。気がつきゃ世間は大型連休。今年は忙しくて同級生と遊ぶ計画立てなかったなあ、なんてちょっと苦笑してしまった。
その夏休みも今日で四日目。徹夜で LMC の準備を終え、出発の用意も済ませた。ふと携帯を見ると「チャクシンアリ 6:32」の表示が。発信者はせっしー。ボクは「こんな早朝になんだろう?」と不思議に思いつつも、コールした……。
今でも悪い冗談だと信じたい。でも事実だった。
せっしーの消え入りそうな声で伝えられた突然の訃報。それはボクの寝不足の頭を叩き起こすには十分すぎる内容だった。こんな大事なときに、この場を離れられない自分が悔しかった。せっしーにも自分が行けない旨を伝えて電話を切った後、しばらく呆然自失していた。永井のおかげで購入できた愛車の中で。
10 時ごろ、通夜が 17 日、告別式が 19 日との続報がせっしーより伝えられた。喘息の発作で亡くなったとの話も聞けた。自宅まで行ってきたそうだ。その話を聞いて、彼が大学を休学した理由を思い出した。そういえば……と。せっしーが声につまり、それ以上会話にならなくなったので電話を切った。ボクはといえば、ほとんど放心状態だった。
しばらくして元気を取り戻すことはできた。空元気という名の元気を……。
§2 友へ――
今振り返ってみると、高専に入学してから今日まで、ボクは世話になりっぱなしだった。本当に感謝してる。
キミが駆け抜けた人生の 3 分の 1 を、ボクはキミと共に歩いてきたんだね。いろんなことがあった。楽しいこと、つらいこと、そりゃたくさん。その想い出は心の引き出しに大事に取っておくことにするよ。
「あまり友達いないのかもね」 ふとそんなことを言ってたね。ボクは胸を張って言い返してやる。「お前ほど友達が多かった奴も珍しいわ」って。
そりゃ、ボクは親友と呼ばれる存在じゃなかったのかもしれない。でもさ、友達って血の通った仲間じゃんか。相手のことを心配して、困ったときは本気で助けようとする。そんな関係なかったと思う? ボクはそうは思わないよ。キミのことを思ってる友達は、たくさんいた。間違いなく。
ボクはキミと過ごした期間(とき)を忘れない。毎年この日が来るたびに思い出すだろう。たくさんの想い出と共に、友人・永井一真の名を。
今までありがとう。さようなら……。
